2014.8.13
夜になるとヨットの周りの水面が黒く、それは闇のようになる。
その闇にまばらに鋭く小さく閃光するものがある。
瞬く間にその数が増え、辺り一面が閃光に満ちる。
光量も異様に増しはじめ、生命が警戒を発しているかのような威嚇的なものになった。
雨が降って来ていた。
水面に雨が落ちて夜光虫を発光させていたのだ。
今夜のような夜光虫は、あまり見ない。
雨の降り始めで反応が新鮮なこともあるが、
夜光虫の群れが、ヨットの係留してある湾の奥に風で吹寄せられている。
夜光虫は見ていて幻想的なのだが、こういうところだと吹寄せられるものは他にもある。
明るい時だったらおそらく幻滅的だ。
いつか見た式根島の光景は、水も綺麗な小さく静かな入江の中で、
空には星が瞬き、海には夜光虫が刺激に応じて無数の閃光を発していた。
泳ぐと、人の形で光っていた。
その時は初めて見たことでもあり、この世のものとも思えないものだった。
箱根を9時頃に出たが、ホームポートには昼頃に到着した。
夏休みで渋滞していた。
今日は、夏のクルージングの初日。
今年の夏は、高気圧が弱くて天気がはっきりしない。
これからの数日間、スッキリと晴れる日がなさそうだ。
年も取ったので日焼けを避けたいから、ちょうどいいとも言えるのだが、
やはり夏と言えば、青い空に白いセールを広げて風に吹かれ、
暑くて頭も体もボーッとした感覚の中で、舳先が波を切る音に身を浸したい。
セールワークが無ければ何もせずにぼんやりと景色を見て時間の流れるままに過ごす。
いつもはこんなとき、けだるいボサノバの響きが風の中に流れていて、
ただただ時に身を委ねているだけで至福に浸れる。
ボサノバといっても賑やかなものではなく、アントニオ・カルロス・ジョビンとか、ルイス・ボンファのギターやジョアン・ジルベルトのような、ささやくような静かなものがいい。
それが最近はちょっと違って来ていて、アンドレ・ギャニオンの響きが加わるようになった。
夏の昼には静かなボサノバが似合う。夏の夜にはアンドレ・ギャニオンが似合う。
今回のクルージングには、アンドレ・ギャニオンの曲をUSBメモリに沢山いれて来た。
高気圧が勢力を広げた夏らしい気候が無いまま、それでも人間界は夏の行事で忙しい。
先週の8月3日、ヨットの整備も終了して帰路につくと、長浜の漁港に露店が出ていた。
そういえば昼間には花火の空打があげられていた。
花火があるようだ。
長岡の町営温泉に入り、花火を見るためにまた長浜に戻った。
しかし花火の場所取り風景が無い。
人がそれほど多くはなく、場所取り合戦をしなくてもいいのだ。
たいした花火でもないのかもしれない。
焼きそばが200円で売っていたので2人でそれを買って食べた。
花火が始まる放送があると、それまで思い思いに動いていた人たちが、
むきを揃えて岸壁の方に向かったが、みな急ぐ訳でもなかった。
岸壁に着くと、対岸の打ち上げの防波堤はそれほど遠くなかった。
50m、もうちょっとはあるだろうか。
随分近くだが危なくないのだろうかと思っているうちに、始めの一発が上がった。
シュルシュルとあがると、その距離は上空では真上に近い。
自分の真上で大音響とともに大きく丸く、視界全体を覆うほどに広がった。
思わず身を縮め、体をのけぞらせた。
こんな花火は体験したこと無い。
乱れ打があり、巨大玉があり、視界一杯の響宴が夢のように続く。
すごい、一番すごい、町の人たちにとっては毎年のことなのだろうが、
私にとってはどこの花火よりすごい、ただすごい、と思った。
椅子を勧めてくれた婦人によると、大仁の花火(8月1日)の方がもっとすごい、ということだった。
これ以上の花火があるのだろうか。
大仁といえばここよりはずっと大きな町だ。
おそらく見る場所も限られていて、至近50mという訳にはいかないだろう。
もっとすごいというのは本当だろうが、おそらく隅田川の花火とかのほうがすごい。そういう意味なのだと思う。
来年は、是非両方見てみたいものだ。
天候はどうであれ夏真っ盛りの中にいるようだ。
当初は式根島へ行く予定にしていた。
またあの夜光虫を見たいと思っていた。
しかし直前まで台風が来ていたりして、
島へ遠出するための気持は充分なのだが、起動電力の不足で回転を始めなかった。
明日朝に出航することにした。
予定無しでとにかく伊豆半島を南下しようということになった。
2人とも寝坊助なので、出航を10時にしようということになったが、
水を補給するためにポンツーンに行こうとして船を動かし始めるとおかしい、進み方が変だ。
スクリューが回転しているのは確かなようだが、変に振動して推進力が無い。
スクリューに貝がわんさか付着している様子が想像された。
なんとかポンツーンに着岸して水を補給し、さてこのままでは航海できない、と思っていると、相棒がスクレッパーを手にして、潜って貝を落とし始めた。
湾の奥で水はあまり綺麗とは言えない。
相棒は、私より上だがダイビング歴も長く水に慣れていた、、、というだけのものでもないだろう。
なんとか出航したのは11時頃になっていた。
大瀬崎を回ると南風が吹き渡っていた。
真上りだ。
風も、ブローがあったり無風だったりで安定していない。
タックを繰り返しながらいくのも面倒なので機走のまま南下した。
戸田を通過し、土肥を通過し、さてどの港に入ろうかと進み、松崎にしようか、岩地にしようか、石部は入れるのだろうか、
その向こうに見える町は何だろう、ああ雲見か、と進路が決まらぬまま陸に近づく。
遠くからでも印象深いオットセイのような形の岬は、雲見だった。
覚えておこう。
あとで調べたらオットセイ岬は、烏帽子山という名称だった。
結局、岩地に入る。
釣人に遠慮しながら槍付けして係留すると、孫を連れたおじいさんが魚礁があるからアンカーを打ち直した方がいいと言う。
アンカーを打ち替えて一息ついた時は、5時をとっくに回っていた。
この日は、上陸もせず、流水麺に胡麻ドレッシングをかけただけのものを食べて船内で過ごした。
今日はずっと機走だった。ヨットなのに。
長浜からここ岩地までの景色は、戸田まではゴロタの浜が多かったが、戸田から南は西伊豆らしい景色が始まる。
それは南下するほど素晴らしい景色になる。
昔のホームポートだった安良里を通過し、田子島をあとにした。
田子島でよく遊んだ記憶がよみがえる。
堂ヶ島辺りから景色が西伊豆らしくなる。
松崎も通過して、結局岩地に到着したのだが、
ここ岩地をあとにして行く先には、西伊豆の中でも特に素晴らしい景色が繋がる。
防波堤では、足の長い外人のような婦人と小柄な老人の2人が、日が暮れる寸前まで釣り糸を垂らしていた。
翌朝、デッキに出ると、すでに岸壁は釣人で一杯だった。
小用をすませようと思ったのだが、これでは無理だ。
あの婦人と老人も来ていた。
どんな関係だろうかと、少し思いめぐらした。
相棒のお嬢さんが金曜から合流することになっていた。
今日はもう木曜日だから、明日だ、一日ずれていた。
どこで合流しようか。石廊崎か下田か。
今日はそのあたりまで行かなければならない。
目的があるということは、気持を引張ってくれて脳が楽だ。
8月15日
今日も南風。
高気圧の南風ではなく、日本海にある前線による風だ。
昨日と同様に真上り。
今日も機走。
セールをあげないヨットって、かっこ悪い。
機走でセールが風をはらまないとしてもメインセールだけはあげるものだ。
セールをあげた方が波によるローリングを押さえて船が安定するためでもあるが、
風が変わった時に即帆走に移れるようにするためだ。
それがヨットマンというもの。
でも面倒。年のせいか。
雲見の印象深い岬を回ると、景勝名高い波勝崎が見える。
そそり立つ岩肌の頂部は雲に消えて雄大だ。
波勝崎の手前に拳骨のような岩があった。
拳骨の向こうに雲が流れて、雲の白を背景にくっきりとその形を際立たせていた。
波勝を過ぎると少し角度が東に回る。
セールが張れるかもしれないと思ったがしかし、回ったにも関わらず風は正面からの真上りだ。
岬に沿って風が廻っているのは自然現象だが、それでもがっかりする。
昨日今日とずっと機走ばかり。
石廊崎のリーゼントのような岩が見える。
それを回れば奥が深い石廊崎漁港だ。
幅が狭く奥まった入江の両岸は、不思議な形相をした岩が繋がる。
波で浸食された大きな穴がいくつもあり、
それはまるで、黒いマントを頭からすっぽり被った物語に出てくるような悪魔が、
すり抜ける隙間も無いほどの数でこちらを包囲し、大きな口を開けて威嚇しているように見える。
一番奥まったところにある漁港が見えて来た。
アンカリングしてすぐ間近の民宿食堂「龍宮」に入る。
Cちゃんと間もなく合流した。
3人でそろって1,000円のサザエ定食を食べた。
ここは自然の地形を利用して、防波堤がなくともとても静かだ。
外がいくら荒れていても、入ってしまえば安全な入江として古くから知られていた。
水もとても綺麗だ。泳ぎたくなる。
これからどこかへ行くとしても、時刻的にそれほど遠くまでは行けない。
今夜の停泊は妻良あたりになるだろうか。
いずれにしてもこのあとは帰路のコースになる。
妻良港に入ると防波堤で花火を打ち上げる準備をしていた。
今夜は花火があるらしい。
危ないからということで花火が終わるまでは港内に入れない。
すでに3艇のヨットが港外にアンカリングしていた。
港外と言っても湾の中なのだが、それでもうねりは入ってくるので船は揺れる。
ヨットから間近に花火を見ることが出来るのは、僥倖というべきだが、
しかし、いくら待てどもいっこうに花火があがる気配がない。
8時も過ぎ、9時も過ぎた。
Cちゃんが、携帯のネットで9時15分かららしいことを調べた。
船が揺れるのでここでは寝たくないから早く港内に入りたい、などと思っていると不意に打ち上げられた。
湾内に轟く大音響は凄まじいものだった。
山も揺れ、海も揺れ、轟音は、大気を振るわせて湾を囲む山に何度も跳ね返って響き渡った。
翌朝、町を歩く。トローリングの針を買う。
おにぎりも買い、船内で朝食。
出航してトローリングの糸を出すと即サバが捕れた。
セールをあげた。
田子港に入り、昔よく遊んだ同じ場所で遊び、トコブシを採った。
風呂のある港へ行こうということで宇久須へ行くことになる。
港内にはすでに10艇ほどのヨットが停泊しており、さらに入港してくるヨットがある。
明日地元のレースがあるらしい。
肝心の温泉は、町営の銭湯も温泉会館も閉鎖していた。
観光客が減っているのを実感した。
民宿の立寄湯は、夏休みでお客さんが一杯で入れてくれないだろうと言われ、
入れてくれるのはクリスタルビューホテル(昔の岡部)ぐらいしか無いとのこと。
そこまでは歩くとかなりある。トンネルの向こうだと聞いただけで歩く気が失せた。
前方に見える岬とまで言えない陸の出っ張りは、それほど大きくはないが、
それでもその向こうということになるとすごく遠いような気がして足が重くなる。
バスがあるようだ。幸い行き帰りにバスを使うことが出来ることが分かって、無事風呂に入るという大きな目標を達成することが出来た。
船に戻り、私の失敗スパゲティで奇妙な夕食になった。
2014.8.17(日)
今日は、ホームポートまで戻る日だ。
セーリングを楽しむ。
戸田には入ったことが無いので、探索と昼食をとるために入ってみたのだが、湾内は広いが泊める適当なところが無い。
結局諦めて機走しながら食べることにした。
風は真追っ手になり、セールをあげて観音開きで帆走した。
しかしこのまま帰っては、セーリングにかんしてはまったく物足りない。
クローズで少し走ってみることにした。
帰路の方向から舳先を大きく回して、前から風を受け始める。
風にのぼると風も波もその表情が全く違ってくる。
吹いてくる方向に進むので風が強くなり、波も前方から向かってくるので、
一変して広大な海原に向かって、ちっぽけな小舟で挑んでいる感じになる。
ランニングでのんびり帆走するのも良いが、クローズでの帆走もこれぞヨットという感じで気持がいい。
それに我が艇は、なんとのぼり角度がとてもいいことが分かった。
タックを繰り返し、しばらくセーリングを楽しんだあと、気も済んでホームポートに向かった。
ポンツーンに接岸してデッキを水洗いし、水を補給した。
町営の温泉につかり、タイ料理を食べ、夏休みが終わった。