2014.9.27
駿河湾の奥の伊豆半島の付根に、大瀬崎を角にして東側に入り込んでいる海域がある。
この海域は、台風が沖にあってもうねりもなく、風波だけが走る海面である。
そのために、バウが波に叩かれて失速してしまうこともなく、セイリングボートは快適に風に乗ることが出来る。
セーリングを楽しむには最適な所だ。
今年の夏には、この海域に何度も来ることが出来て充実したヨットライフを送ることが出来た。
この日は、風波の頭が白く砕けていた。
白波の出始めが風速7m/sと言われていて、セーリング時の緊張感の目安となっている。
対岸の由比にある煙突の煙が真横にたなびいている。
富士山が、そり上がった稜線をくっきりと際立たせて、孤峯である気高さや優しさを内包した実在感が静かに広がっていた。
日差しの中に夏の名残があったが、空気には秋の気配がしっかり沁み込みはじめていた。
遠くにある台風と日本海にある前線による東の風で、
ホームポートから出ると一気にランニングで大瀬崎の方へ滑っていく。
帰りは真上りになる。
1分のランニングが数倍のクローズになるかと思うと、ランニングをのんびり楽しんでいられない。
帰路の方を振り返ると無数の白波がこちらに向かっている。
ランニングではあまり感じないが、風は10m/s以上はありそうだ。
帰路は、スプレーをかなり被ることになるだろう。
メインはワンポを入れておいた。ファーラージブは、サイドステーあたりまでで止めてある。
それでも艇速は7ノット位は出ている感じだ。
つい最近になってのことだが、自分が風になじんで来ている、と感じている。
2代目のヨットの時は、子供たちとよく来ていて、シュノーケルで遊べるポイントへ行くための渡し船的なものだった。
セールをあげたことはほとんどなかった。
1代目は、自作艇だが、何しろ重かった。セーリングが楽しいと思えなかった。
それに、それまでの自分はクルーザーの経験がなく、ディンギーだけだった。
クルーザーに乗り始めた頃は、ヒールが怖かった。
ディンギーは、体を船外に乗り出して必死にヒールを起こしにかかるのだが、クルーザーではそんなことはしない。
ヒールしっぱなし、それが怖かった。
30度も傾けば倒れるのではないかとひやりとする。
瞬間にでも45度も傾きでもしたらそれこそパニックに近い。
そんな感覚がなかなか払拭できなかった。
ヨットは、転覆してもしばらくすれば復元するから心配ない、と言われたら、
転覆するのか、とまた恐怖におののく。
そんなこんなで、風と一体になってセーリングを楽しむという感覚を持ち得なかった。
それが、クルーザーを始めてから30年余も過ぎた今になって、風をつかまえて、ガップリ四つになる感じが少し芽生えて来た。
なんかうれしい。
この海のおかげかもしれない。
このヨットのおかげかもしれない。
仲間のおかげであるのは間違いない。
この夏は、ほぼ毎週のように仲間とともにこの海に来た。
沢山の思い出もできた。
娘が彼氏を連れても来た。
大学時代のヨット部の旧友とも親交を再開できた。
舳先を回してクローズに入る。
一気に風が対抗してくる。ヒールする。
のぼりの限界を探って船の向きを安定させると、徐々に風を切って果敢に進み始める。
ブローは、上空から降りて来て体で感じる前にセールトップを押しやる。
海面の様子でブローが分かるのだが、白波が立つような海面になるとそれもよく分からない。
前兆もなくいきなりヒールでぐっとハルが傾くのが早く、
反射的にティラーを突いて風上にのぼる。
ブローは、ベクトルの風向が風上にシフトするので理論的に少しのぼれる。
少しでも、のぼれる時にのぼるのがクローズの鉄則。
無駄なヒールを起こして風をしっかり受けることにもなる。
遅れて体にもブローが吹き付けてくる。
ジブのラフに裏風が入らないようにのぼり過ぎに注意しながら、風を逃がさず、捕まえたままの状態でヒールを維持する。
この感覚だ。私が今まで持ち得なかったもの。
ヒールを維持し風を逃がさず船を操る。風と船と乗員が一体となり渾然となる感じ。
風になじんで来た、と感じる時だ。
これなら45度ほど傾いてもビビらなくてすみそうだ。
我が愛艇は、ウエザーヘルムもそれほど強くなく、クローズも走り易い。
ヘルムは、メインセールの張り方次第でもあるが、メインを緩めてもウエザーのきつい船が多い。
この船は、ヘルムのバランスもよく、バラストも重めなので安定感がいい。
多少の強風でも安心感の中で風に乗ることが出来る。
馬力任せの船が残した引き波だろうか、バウが少し持ち上がり、そして海面を叩く。
海面はスプレーを吹きあげ、飛沫は風に乗ってデッキを乗り越え、コクピットを横殴りに洗う。
体に叩き付けるような飛沫は、Tシャツ越しにもう冷たかった。
ホームポートまでの距離が遠く感じる。
ヨシ、と気を入れ直す。
秋の海も楽しみだ。